妄想としての『場』 Ⅰ
最新の研究成果を読んでいないから
(読んでもわからないだろうけど)
ここから書くのはあくまでもぼくの妄想だよ
宇宙(世界)は『場』にすっぽり覆われている
というか 『場』の中に宇宙は漬かっている
そういう考えかたで今のところ良いんじゃないかな
相対性理論のところで書いたと思うけど
この世界に働く力っていうのは
4つに分類されているってことみたいなんだ
電磁気力・引力・強い力・弱い力 ってやつらだね
では その中で
『場』に影響を与えるのは
どの力だろう?
エネルギーって
ぼくたちはよく使うけど
これも4つの力のどれを指すんだろう?
なにより 他に及ぼし合う力を
なぜ4つに分類しちゃったのだろう?
ぼくたちが一番身近に感じられるのは電磁気力
モノを動かすのも
熱を上げるのも下げるのも
なんといっても人を殴るのだって
電磁気力の力なんだから
だから 普通に『エネルギー』って言葉を
使う時にイメージしているのは
電磁気力なんだと思うんだ
ぼくたちにとって
理解しやすい『力』っていうのは
電磁気力ってことだね
だから なぜ4つに力を分類したのか? って答えは
引力・強い力・弱い力が電磁気力で
説明できなかったから ってことじゃないかな
初めは 電磁気力とそれ以外の力
そういう分類だったんだと思うんだ
ところが それ以外の力を調べていくと
同一の力だとすると説明がつかない
ってことがわかっちゃったんだろうね
なんとか 同じような作用をするものを
まとめようとしたけど
どうしても4種類は分類しなくちゃ 説明できない
ってことになった そんなところじゃないかな
では『場』に影響を与える力は
4つの力の内のどれか?
その答えは簡単だね
『場』は遠隔作用にしか見えない力の伝わり方を
近接作用として考えるための
仮説みたいなもの
近接作用は 直接触れるか
伝えるための媒体があるかでないと
説明できないんだから
だから 無理やり『場』という媒体を
作り出したんだと思うんだ
だとすると直接触れていなくて
なおかつ その間にある媒体が
ぼくたちに理解できない力は
すべてが『場』に影響を与えるってことだね
強い力と弱い力はもう一つ理解できていないんだけど
少なくとも電磁気力と引力については
『場』に影響を与えていると言えるはずだよ
妄想としての『場』 Ⅱ
ぼくたちが真空と呼んでいた宇宙空間は
じつは『場』というもので満たされていた
実感はわかないけど
考え方としてはおかしくは無いよね
場を媒体として
遠隔作用と思われていた力の伝達が
近接作用として理解できるようになった
この部分も納得できるような気がするんだ
だけど 疑問も出てくるよね
電荷が(正確に言えば電荷の変異かな)
他の電荷に力を及ばすってことは
エネルギーを伝える
そういうことになるんじゃない?
エネルギー(力学的エネルギー)っていうのは
運動エネルギーと位置エネルギーの
(ポテンシャルエネルギー)
ことを指すと思うんだ
特に この電荷が
他の電荷に影響を与える状態を考えたら
運動エネルギーを伝えてる
ってことになるよね
運動エネルギーが伝わるということは
『場』にも運動エネルギーが
あるってことにならないかな
運動エネルギーにこだわらなくても
少なくとも『場』は
エネルギーを持っているってことにしないと
エネルギー保存則ってものを
疑う必要が出てくるという
厄介なことになっちゃうじゃないかな
エネルギーなんて
最近作られた言葉だから
正確な定義は難しいけど
少なくともエネルギーを持つってことは
実体を持つってことになるはずなんだ
と なると
『場』には実体がある
ってことになっちゃう
実体があるってことは
質量があるってことにならないだろうか?
ぼくが理解できてないのかもしれないけど
E=mc2 って有名な公式があるじゃない
エネルギーと質量は
同価ってことのように思えるんだけどね
『場』には質量がある
そう言い切ると
特殊相対理論で否定された
「絶対座標系及び絶対性基準」が
『場』に適用されちゃうことにならないのかな?
もう一つ
電磁波は光速で動くことになっている
電磁波の運動が
『場』の運動を促して伝わる
ということになると
『場』に質量がある場合
光速で動けるのか?
って問題が出てくる
もし 『場』の運動が光速になれるとすると
質量は『0』のはずだもんね
『場』自体は動かずに
『場』の歪み(時空の歪みかな)が
電荷を伝えていくとすれば
その問題からは逃れられるけど
その歪みに沿って電子が動くとすれば
それこそ電子の質量は計測されているのだから
光速にはならないよね
その矛盾を解決するために
質量0の『光子』が仮定されているけど
質量0の粒子なんてものの仮定って
どうなんだろう?
『場』を ぼくたちの感覚にある
実体を持つものとしないと
近接作用の計算式が成立しないし
実体が無いとしないと
少なくとも宇宙空間の光速移動ってものが
説明できないような気がするんだよね
さて 困ったもんだ
妄想としての『場』 Ⅲ
実際のところ
『場』については『仮説』でさえ
まだ不完全な状態なんだろうね
仮定を基に理論を進めていくと
どうしても矛盾が出てきちゃう
もっとも 執念深い科学者たちのことだから
どこかでなんらかの
『仮説』を導き出すとは思うんだけど
ぼくが触ろうにも
手掛かりさえない『素粒子』や『ひも理論』
4つの力を統一しようとする理論に
『場』を量子論から解釈しようとする理論
とてもじゃないけどぼくの手には負えないね
量子場理論なんて
『場』の中で量子が
生まれてはすぐ消えていく
なんてことになっちゃうんだから
理解しろってほうが無理だと思わないかな
量子力学の世界では
宇宙は演算子だってはなしも出てくる
そう言った意味では
『場』っていうのはモノじゃなくて
ただの『作用素(演算子)』
ってことに落ち着くのかもしれない
でも そうなると
すでに物理学の範疇じゃ
なくなっちゃうのが困るんだけど
『場』を考察するってことは
哲学で言うところの
『存在』を考察するってことなんだと思うんだ
哲学では言語で
そして現代の物理学では数学で
『存在』を考察しようとしている
だけなんじゃないかな
でも いつも言っているけど
数学っていうのも言語だと思うんだ
と いうことは
『数学』でしか説明ができない現象って
これはもう哲学の範疇だと思うんだけどね
『場』=『存在』
だとしたら しばらくは
このテーゼとアンチテーゼを温めて
いつかジンテーゼを探してみようか
でも 困ったことに
現在のところ哲学では
『存在』は人間の手に負えないものって説が
大勢を占めているんだけどね